Umaさんの能力は父方から引き継いだものだと言われましたが、ご家族の中で、そういった能力を発揮したり、家族内の日常会話で使われたりということはなかったのでしょうか?
父方の祖父は多言語、特にヘブライ語を話すことができたカッコいい人でした。歯科医でしたが、神秘主義者でもありました。でも第二次世界大戦中に亡くなってしまったので、私の父は、祖父から何も教えを受けずに育ちました。でも神秘主義的なことを父を通して間接的に私が知れたのはとてもラッキーだと思っています。
というのも、父も神秘主義的な分野に興味があり、物質的なものよりも思考のエネルギーの方がより強いことを私に教えてくれました。父は持病で主治医から40歳頃に死ぬよと言われていたのに父が亡くなったのは80歳近くです。父は、それまで言われてきた常識を覆して、自分の意識で現実を変えた人だと言えます。
大学時代は中国語を学ばれたそうですが、数ある言語のなかで、何故、中国語を選択したのでしょうか?それもご自身の能力に関係がありますか?
両親が私にもっと学問を深めて欲しいと希望したので、大学には進学しました。でも何も自分に響く教科が大学にはなかったんです。その時、父親から中国語を学んでおけば、これから役に立つんじゃないか。将来、中国が世界を制覇する時代が来るから中国語ができるようになっておきなさい、とアドバイスがありました。その後、中国に行って、中国人の少数民族の人からイニシエーション受けることになりましたから、中国語を学んだのは結果として良かったと思っています。
中国語のように何か新しいことを学ぶ時には、それまでの知識を一旦全部忘れる段階が必要です。中国も中国語も、それまで私が育った文化や環境、知識、言語とは全く違う世界なので、自分がそれまで身に着けてきたものを全てゼロにして学ぶ必要がありました。
そして知識や文化、言語に対し、オープンになって中国に行くことが必要でした。それまでは、ドイツ人だったらこうする、ドイツだったらこれが普通というふうな狭く考えがちでしたが、それをいったん脇に置いたからこそ、自分に必要なシャーマンと出会い、イニシエーションを受けることができました。
なので、中国語を学んだのは心に従ったと言うよりは、父に言われたからでしたが、結果的に私の人生に新しいドアが開き、全てが良い方向に向かったと思います。
ドイツの若い女の子が北京や上海といった大都会ではなく、中国の辺境の小さな村を旅行するというのは大冒険だったと思います。そういった冒険気質はもともとあったんですか?
すでに私のことをよくご存じのようですね(笑)。もちろん北京のような大都市も旅行しました。でも、小さな村を旅行するのも好きなんです。私はそこで暮らしている人たちと一緒になって、その土地で暮らしているかのように旅をするのが好きなんです。ちょっと農作業を手伝ったり…。どういう風にその国の人たちが暮らしているのかを知りたいと思うタイプなんですね。その時は中国語が話せたので、とてもよかったです。
中国滞在中、日本語のコースを受講することもできたので、もしその時に勉強しておけば、今、ちゃんと日本語が理解できたはずなのに全然理解できなくて、ゼロから学び始めないといけません。その時の若かった自分に苛立ってます(笑)。何で日本語を勉強しておかなかったんだろうって(笑)。
その中国旅行中に訪れた国境近くの小さな村で、少数民族のシャーマンから「あなたはシャーマンですね」と見破られたんですよね。
中国を旅したことは、私の人生の転機になりました。いつもの生活とかけ離れた遥か遠くを旅する時には、言葉や文化も全てが違います。中国では辺境の少数民族の町に行きました そこであるシャーマンと会いました 彼は中国の独立地域とラオス、ミャンマーの3カ国に住んでいたことがある人でした。しかし当時、そのあたりのシャーマンたちは捕らえられ、シャーマンやシャーマニズムが無きものにされていました。でも彼は私を見た途端に私がシャーマンであることを見抜き、私にイニシエーションを与えてくれました。そしてすぐにドイツに帰国し、シャーマニズムを学ぶようにとアドバイスしてくれました。
何故中国で学ばなかったかというと、自分が育った環境の地においての「現代シャーマニズム」を学ぶことが1番パワフルで、他から与えられたものではなく、もともと骨身に染みているものだからと。そういう風に彼は言っていました。